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東京地方裁判所 平成元年(ワ)9794号 判決

甲事件原告・乙事件被告

吉田稔(以下「吉田」ともいう。)

甲事件被告・乙事件原告

東京メデカルサービス株式会社

(以下「東京メデカル」ともいう。)

右代表者代表取締役

西村公子

右訴訟代理人弁護士

森美樹

森有子

乙事件被告

株式会社大幸商事(以下「大幸商事」ともいう。)

右代表者代表取締役

吉田稔

主文

甲事件原告の請求を棄却する。

乙事件原告の請求を棄却する。

訴訟費用のうち甲事件で生じた部分は甲事件原告の負担、乙事件で生じた部分は乙事件原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  甲事件

被告東京メデカルは、原告吉田に対し、金一七三五万九一〇〇円及びこれに対する訴状送達の日の翌日(平成元年八月四日)から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  乙事件

被告大幸商事及び被告吉田は、原告東京メデカルに対し、連帯して金一一四六万八四〇〇円及びこれに対する訴状送達の日の翌日(吉田については平成二年二月二〇日、大幸商事については平成二年三月一一日)から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、吉田が東京メデカルの従業員でありながら大幸商事の代表取締役となり東京メデカルの取引先と取引したとして、東京メデカルが吉田を懲戒解雇にしたという事案であるが、懲戒解雇が無効であるとして吉田の方が未払賃金や損害賠償を請求したというのが甲事件であり、東京メデカルの方が吉田と大幸商事に損害賠償を請求したというのが乙事件である。

一  争いのない事実

1  東京メデカルは、医療法人大坪会関連の病院に医療用機器・医薬品の販売をすることを主たる業務とする株式会社であり(三軒茶屋に本部が池之端に事務所がある。)、吉田は昭和五一年三月より平成元年六月までの間、総務、経理担当の従業員として東京メデカルに雇用され、同社の池之端事務所で勤務していた者である。

2  大幸商事は、吉田が代表取締役をしている株式会社であるが、昭和六二年八月に会社の目的に「医療機器及び医薬品の販売、医療用具及び医材料の卸売」を加え、東京メデカルの取引先である訴外株式会社ニプロ(以下「ニプロ」という。)から血液回路を仕入れ、ガンブロ・メディカル株式会社、日機装株式会社等(以下「人工腎臓メーカー」という。)に販売するようになった。

3  東京メデカルは、平成元年六月二七日付けの内容証明郵便で「〈1〉正当な理由なく無断欠勤七日以上におよび、再三にわたる出社の督促にもかかわらず、これに応じない。〈2〉重要書類在中の机の引出の鍵等の提出を命ぜられたにもかかわらず、これに応じない。」との理由で吉田を懲戒解雇にする旨の意思表示をし、同郵便は同月二八日に到達した。

二  争点

本件の中心的争点は、吉田が大幸商事の代表取締役となり東京メデカルの取引先と取引したことが東京メデカルに対して義務違反となるか、東京メデカルが吉田に対してなした懲戒解雇は有効かである。

(東京メデカルの主張)

1 吉田は、東京メデカルの従業員として東京メデカルのために誠実にその事務を処理すべき義務があるにもかかわらず、昭和六二年四月から平成元年三月にかけて東京メデカルがニプロから購入している血液回路についての取引に自己が東京メデカルに内密で代表取締役をしている大幸商事を介在せしめ、ニプロをして東京メデカルに納入する血液回路の価格を一〇パーセントないし二〇パーセント値引きさせ、大幸商事に売却させた。そして、大幸商事はこれを人工腎臓メーカーに売却し、これらのメーカーは自社のダイアライザーにつけて東京メデカルに売却し、東京メデカルは大坪会関連の病院に納入していた。

大幸商事は、別紙血液回路値引表(略)のとおりニプロから血液回路を仕入れ、人工腎臓メーカーに売却したものであるが、同表記載値引額の合計金一一四六万八四〇〇円は東京メデカルに還元されるべき値引き分であって、大幸商事はこれをほしいままに取得し、その結果東京メデカルに同額の損害を与えたものである。吉田は大幸商事の代表取締役であり、連帯して損害賠償責任を負うものである。

2 吉田は平成元年六月一日以降会社に出頭せず、無断欠勤が七日におよび、また、再三にわたる出社の督促にも応じなかった。

東京メデカルの従業員が平成元年六月一五日大幸商事の事務所に行き、吉田に対し、必要書類在中の事務袖机の鍵の引渡しを要求したが、吉田はこれにも応じなかった。

3 吉田の前記行為は東京メデカルに対する背任行為で、就業規則六六条に該当するものであり、東京メデカルは吉田を平成元年六月二七日付けで懲戒解雇したものである。

(吉田、大幸商事の主張)

1 東京メデカルは、無効な本件懲戒解雇をして吉田に損害を与えたが、それ以外にも六月分給与等の賃金を支払わず、退職に際し故意に離職票を出さないなどしており、吉田は東京メデカルに対し次のとおり合計金一七三五万九一〇〇円の請求権を有している。

(一) 未払賃金関係 計金一八一万一五〇〇円

(1) 六月分給与 金三二万〇五〇〇円

(2) 六月期賞与 金三〇万円

(3) 退職金 金一一九万一〇〇〇円

(二) 労働基準法受給者の権利 金二三〇万七六〇〇円

吉田が退職するに際し、東京メデカルは、就業規則五〇条に定める所定の証明書(離職票)を故意に出さなかったので、吉田は雇用保険の失業給付が受けられなかったが、そのため月給の六割の額の一年分である金二三〇万七六〇〇円の損害を受けた。

(三) 訴訟費用 金三四万円

(印紙代一九万九六〇〇円、切手代四八三〇円、司法書士一三万五五七〇円)

吉田は、本件訴訟提起のために訴訟費用として金三四万円を要した。

(四) 名誉毀損による損害 金三〇〇万円

東京メデカルは、吉田が悪事をしているような虚偽の風説を大幸商事の取引先に流したり、関係者に公表したりして、吉田の名誉を侵害した。

(五) プライバシー侵害による損害 金三〇〇万円

東京メデカルは、吉田の財産関係を調査したり、吉田の自宅に解雇通知書を送り、家族を恐怖のどん底に陥れるなどして、吉田のプライバシーを侵害した。

(六) 報労金 金三九〇万円

吉田は、東京メデカルのために人工腎臓メーカーからダイアライザー等を購入するに際し、無条件で一セットにつき五〇〇円の値引をさせるなどしており、貢献度が高いので、退職するに際しては報労金として金三九〇万円を請求する。

(七) 再就職難易度の損害 金三〇〇万円

東京メデカルのなした無効な懲戒解雇により、吉田の再就職は困難であり、月額五万円の割合による五年間分の額である金三〇〇万円を再就職難易度の損害として請求する。

2 大幸商事がニプロから仕入れたものを第三者である人工腎臓メーカーに販売する行為は東京メデカルとは何ら関係のない行為であり、東京メデカルに損害を与えるということはない。

第三争点に対する判断

一  東京メデカルと大幸商事の関係及び吉田の行為について

前記争いのない事実に(証拠略)の結果(第一、第二回)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

1  吉田は、東京メデカルに雇用される以前の昭和五〇年六月、埼玉県川越市に飲食店等の経営、不動産の売買等を目的とする大幸商事を設立し、代表取締役になったが、特段の営業行為をすることなく休眠状態にしていた。

2  吉田は、昭和五一年三月大幸商事の代表取締役をしていることを秘して、東京メデカルに雇用され、以後、経理部長として経理、営業等の業務に従事し、購買部門を取り仕切っていた。

3  東京メデカルは、人工腎臓メーカーからダイアライザーと血液回路をセットで購入していたが、昭和五六年ころ吉田はそれを値引させる交渉を担当していたところ、血液回路をニプロから安く人工腎臓メーカーに売却させ、人工腎臓メーカーのダイアライザーとニプロ製の血液回路をセットとすることにより一セットにつき五〇〇円を値引させることに成功した。

4  吉田は、昭和六二年四月に休眠状態にしていた大幸商事をニプロの代理店として、ニプロと人工腎臓メーカーとの間の血液回路の取引に介在させることにし、昭和六二年八月には会社の目的に「医療機器及び医薬品の販売、医療用具及び医材料の卸売」を加え、同年一〇月には所在地を東京都豊島区池袋の肩書住所地に移転した。吉田は、東京メデカルの池之端事務所で一人で勤務するとともに、大幸商事の事務所に事務員を一人採用して業務に従事させた。

5  大幸商事は、ニプロから別紙血液回路値引表記載のとおり血液回路を従来の価格の一〇パーセントないし二〇パーセント引きで購入し、これを人工腎臓メーカーに従来の価格で売却し、これらの人工腎臓メーカーは自社のダイアライザーにつけて東京メデカルに売却し、東京メデカルは大坪会関連の病院に納入していた。

6  吉田は、東京メデカルの従業員と大幸商事の代表取締役を兼職していたが、平成元年四月ころ、東京メデカルは吉田が無断で大幸商事の代表取締役として営業行為をしていることをうすうす知るようになり、吉田に対して釈明を求めるなどしたところ、吉田はこれに応じることなく、かえって東京メデカルでの出勤状態が悪くなり、本部への出頭要請にも応じなくなった。

東京メデカルは、吉田の行為は背任になるのではないかと疑い、興信所に吉田や大幸商事の調査を依頼したり、東京メデカルの取引先に大幸商事との取引の内容や事情を照会したりした。

7  吉田は平成元年六月一日以降は池之端の事務所に出勤しなくなり、東京メデカルからの連絡が全くとれず、事務に支障が出たため、東京メデカルは大幸商事の事務所を探し出し、同年六月一五日総務部長の新道徳治が吉田に面会を求めるとともに、必要書類在中の事務袖机の鍵の引渡しを要求したが、吉田はこれに応じなかった。

8  東京メデカルは、吉田の大幸商事の代表取締役としての営業行為は東京メデカルに対する背任行為であり吉田を懲戒解雇しようとしたが、確証が得られなかったので、平成元年六月二七日付けの内容証明郵便で「〈1〉正当な理由なく無断欠勤七日以上におよび、再三にわたる出社の督促にもかかわらず、これに応じない。〈2〉重要書類在中の机の引出の鍵等の提出を命ぜられたにもかかわらず、これに応じない。」との理由で吉田を懲戒解雇にする旨の意思表示をし、同郵便は同月二八日に吉田の自宅に到達した。

二  本件懲戒解雇の効力について

東京メデカルの就業規則(〈証拠略〉)によれば、懲戒解雇ができる場合として六六条一号に「正当な理由なく無断欠勤が七日以上におよび出勤の督促に応じなかった者」、二号に「職務上、上長の指揮命令に従わず、職場の秩序を乱した者」が定められているところ、吉田の前項7で認定した行為は就業規則六六条一、二号に定める懲戒解雇事由に該当するというべきである。

そこで、本件懲戒解雇に懲戒権の濫用となるべき事由があるかについて判断するに、本件懲戒解雇に至った事情として前項4ないし6で認定したように吉田が東京メデカルの経理部長でありながら、大幸商事の代表取締役となり営業行為をしたことがあり、これをどう評価するかの問題がある。思うに、吉田は東京メデカルの経理部長であるから、東京メデカルに対してその職務を誠実に履行する職務専念義務ないし忠実義務を負うものであり、許可を得ることなく、他の会社の代表取締役となり、東京メデカルに関連する取引をして利益をあげるということは、重大な義務違反行為であるといわなければならない。本件懲戒解雇の背後にあるこの重大な事情をも考慮して、本件懲戒解雇の効力を判断するに、本件懲戒解雇は相当であって、懲戒権の濫用をうかがわせる事情は認められず、本件懲戒解雇は有効であるというべきである。

三  吉田の損害賠償等の請求について

1  未払賃金関係

(一) 六月分給与について

東京メデカルの給与規定(〈証拠略〉)によれば、給与の毎月の計算期間は原則として前月二一日より翌月二〇日までとする(給与規定二一条)、幹部社員は月給制とする(同規定一〇条)と定められていること、吉田は平成元年五月三一日までの給与の支払は受けているが、六月一日以降の給与の支払を受けていないこと(〈証拠略〉)が認められる。

給与規定には月給日割者が事故欠勤した場合には日割額を減額する(同規定二二条)と定められているが、月給制の場合についての減額の具体的規定はない。とすれば、吉田に対しては、六月一日から二〇日までの給与の支払義務があるように形式的には解されるところであるが、前記一の7で認定したとおり、吉田は六月一日以降は池之端の事務所に出勤しなくなり、東京メデカルからの連絡が全くとれない状態であったことを考えると、本件のような事例は給与規定が予想しているものではなく、ノーワークノーペイの原則により、そもそも賃金請求権が発生すべき債務の本旨に従った労務の提供がなかったものというべきであるから、吉田の主張は理由がない。

(二) 六月期賞与について

六月期の賞与については、給与規定によれば、前年六月一日より本年五月三一日まで勤務した者に受給資格がある旨定められており(給与規定三一条)、規定の上からは吉田にも一応受給資格があるといわなければならない。しかしながら、賞与は職員の勤務成績に応じて支給する(同規定三〇条)と定められているように、使用者の具体的決定がなければ、具体的な請求権として発生したとはいえないのみか、前記判断のとおり吉田には懲戒解雇事由があり、使用者が賞与を支給しないと決定することも不当であるとはいえない事情もあり、賞与の請求は認められないというべきである。

(三) 退職金について

退職金規定(〈証拠略〉)によれば、懲戒解雇を受けた者については退職金を支給しない場合がある(四条本文、一号)と定められているところ、吉田に対する本件懲戒解雇が有効であることは前記判断のとおりであるから、退職金請求権は発生しないというべきである。

2  労働基準法受給者の権利について

吉田は、東京メデカルが離職票を故意に出さなかったので、労働基準法上の権利を害されたと主張するが、離職票の不交付が労働基準法上の権利や雇用保険法上の権利を消滅させるという関係にあるということはできないから、吉田の主張はそもそも失当である。

3  訴訟費用について

吉田は、訴訟費用を損害として請求しているが、訴訟費用については請求の当否の判断とは別個に判断すべきもので、そもそも損害の対象になるとは思われず、失当である。

4  名誉毀損による損害について

吉田は、東京メデカルが吉田が悪事をしているような虚偽の風説を大幸商事の取引先に流したり、関係者に公表したりしたと主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。もっとも前記一の6で認定したとおり、東京メデカルが吉田の行為は背任になるのではないかと疑い、興信所に吉田や大幸商事の調査を依頼したり、東京メデカルの取引先に大幸商事との取引の内容や事情を照会したりしたことは認められる。しかしながら、このことは、東京メデカルの立場に立てば、理由のあることであり、その手段方法も未だ社会的相当性の範囲内にあるものと認められ、違法であるとはいえない。

5  プライバシー侵害による損害について

吉田の自宅に解雇通知書を郵送したことは、社会的に相当な行為であり、仮に、吉田の家族がこれにより恐怖感を抱いたとしても、このことが違法となる余地はないし、プライバシーを侵害することもありえないというべきである。また、吉田の財産関係を調査したことは社会的相当性の範囲内にあるものと認められ、違法であるとはいえない。

6  報労金について

吉田が東京メデカルのために人工腎臓メーカーからダイアライザー等を購入するに際し、一セットにつき五〇〇円の値引をさせるなどしたことは前記一の3のとおりであるが、このことから退職するに際して報労金の請求権が発生するとは到底いえない。

7  再就職難易度の損害について

本件損害は解雇が無効であることを前提としているものと思われるが、前記判断のとおり吉田に対する本件懲戒解雇は有効であり、理由がない。

四  大幸商事、吉田の損害賠償責任について

吉田の行為が東京メデカルに対する職務専念義務ないし忠実義務違反となることは前記判断のとおりであるが、大幸商事の営業利益が直ちに東京メデカルとの関係で損害となるかは別個の問題であり、この点について判断することとする。

思うに、大幸商事が介在したのはニプロと人工腎臓メーカーの間の取引であり、ニプロと東京メデカルの間の取引ではないこと、大幸商事が介在したことにより、東京メデカルの人工腎臓メーカーからの仕入価格が上がったという証拠はないこと、大幸商事はニプロの商品販売店としてニプロと商品売買契約をしたものであり(〈証拠略〉)、利益もニプロの受ける利益の一部を取得していたというものであることを考えると、大幸商事がニプロから値引を受けて血液回路を買い受ける行為が直ちに東京メデカルの損害となるとは到底解されない。もっとも、結果としては、大幸商事が人工腎臓メーカーにニプロから購入した血液回路を売り、その大部分が更に東京メデカルに流れていることはうかがえるけれども、人工腎臓メーカーは大幸商事からも東京メデカルからも完全に独立した第三者であり、自己の意思で、価格等の交渉をしたり、他の第三者に自由に商品を売却することができる存在であるということを考えると、東京メデカルが購入した時点でも大幸商事がニプロから受けた値引額が東京メデカルの損害になるとは直ちには判断できない。この点についての東京メデカルの主張は理由がない。

五  以上により、甲事件原告吉田の請求は理由がないが、乙事件原告東京メデカルの請求も理由がない。

(裁判官 草野芳郎)

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